「知っているつもりー無知の科学ー」を理系大学院生が要約・まとめてみた!

今回の投稿ではスティーブン・スローマンフィリップ・ファーンバック著の「知っているつもりー無知の科学ー」についての要約を行いました。

この投稿は以下のような人向けです。

  • 「知っているつもりー無知の科学ー」の購入を検討している
  • なぜ知っているつもりになるのか知りたい
  • 思考とはなんなのかを知りたい

早速要約をしていきます!!

Contents

「知っているつもりー無知の科学ー」要約

突然ですが、あなたはスマホの機能を知っていますか?

おそらく「知っている」と答える人が大半なのではないでしょうか?「右のボタンを押せば電源が入る」「スクリーンをタッチすれば動く」など答えられると思います。

しかし実際はもっと複雑ですよね。なぜスクリーンをタッチしたら動くのでしょうか?どのようなメカニズムで指で触れられていると認識しているのか?これらの機能を知っている人はほとんどいないのではないでしょうか?

かくいう僕も全く知りませんが(笑)

このように、人は日常的に何気なく使っているツールをそのメカニズムも知らずにさも全てを知っているかのように使いこなせることができるんです。

コンロのメカニズムを知らなくても火をつけることができるし、トイレのメカニズムを知らなくても水を流すことだってできます。また素材や製品の色など、なぜそうなったかを知るには化学、マーケティング、行動経済学などなど、さまざまな知識が要求されます。

しかしこれらのような知識を全て持ち合わせている人はそうそういませんよね。つまり、人間は自分たちが思っているよりも「無知」なんです。

さて前置きが長くなりましたが、今回要約するのは早川書房より出版された「知っているつもりー無知の科学ー」です。著者はスティーブン・スローマン、フィリップ・ファーンバックです。どちらも認知科学者です。

認知科学とは、Wikipediaによると

情報処理の観点から知的システムと知能の性質を理解しようとする研究分野。

Wikipediaより引用

また、コトバンクによると

認知心理学人工知能(学)、言語学、認神経科学哲学などにまたがる学際的基礎科学

コトバンクより引用

だそうです。つまり、人間の知能や認識をコンピュータでモデル化を目指している学問と言えます。なんだかめちゃくちゃ面白そうですよね。

本書では、「人間の知っているつもり」はなぜ起きるのかについて言及されているとともに、その「知っているつもり」がいかに素晴らしいことなのかが書かれています。

その中でも僕が面白いなと思った箇所を抜粋して紹介していきます!

「知っているつもり」はなぜ起きるのか?

自分がどれくらい無知なのかを日常生活で認識している人はほとんどいません。

これは決して悪いことではなく、ちゃんとした理由があるのです。その理由のヒントが隠されているのが「何のために思考するのか」に隠されていると本書には書かれていました。

人間は何のために思考するのか

では人間、ひいては生物は何のために思考するのでしょうか?

この答えはさまざまな意見がありますが本質的な答はどれも同じで、「行動」のために人間は思考します。

本書でも以下のように書かれていました

思考は、有効な行動をとる能力の延長として進化した。

「知っているつもり 無知の科学」

このように著者ら主張する理由の一つが「生物には思考より行動が先にあったから」です。

生物は思考より先に行動があった

生物の歴史で最も原始的な生物も、思考はできなくても行動はできたと言われています。

例えば単細胞生物は思考はできないですが(諸説ありますが…)、食べ物を食べ、移動し、繁殖すること可能です。

生存するのに最適な行動をする生物がこの過酷な自然環境に適応していき、現代まで子孫を残してきました。

血を吸う生き物なら、どんなものであろうと自分の目の前にきたものにしがみつく能力はあった方がいいですよね。しかし目の前にきたのが動物なのか、葉っぱなのか、虫なのかを判別できると尚良いですよね。

ここで目の前にきたものは血を吸える動物なのか否かを判断するために思考が生まれました。

つまり、より良い行動を取ろうと最適化するためには、思考能力をもとにして行動するのが最も効率が良いということです。こういった意味で、思考は行動の延長線上にあると、本書では語られています。

思考が行動の延長線上にあるものということを解説しましたが、これがどう「知っているつもり」に関係するのでしょうか?

それでは早速見ていきましょう。

「知っているつもり」はなぜ起きるのか?

さきほど、我々の思考は行動のためにあると書きましたが、このことについてもっと深く見ていくと「知っているつもり」が起きる原因がわかってきます。

先ほども使った例で説明しましょう。

血を吸う生き物が思考する能力を身につけ、目の前にきたものが血を吸える動物なのか否かについて判断ができるようになったとします。

では、この判断はどのようにして行われているのでしょうか?判断するのに何が必要なのでしょうか?

様々な判断材料があると思いますが、一番大切なことは「判断した結果とった行動によってどんな結果になるのか」ということを推論することだと本書で述べられています。

つまり、我々の思考は結果を推論することに特化して進化してきたと言えます。

このことから、我々は知らない事柄や普段使っている道具などのメカニズムを詳細に知らなくても推論することで「知った気」になることができるのです。

詳しくいうと、我々の思考は必要な情報のみを抽出し他の詳細な情報は除去するのに長けていいます。

例えば先生が歴史について話しているとします。この話を聞いている生徒は先生が話した内容を全て覚えるのではなく、要点を抑え、ある程度理解できる程度の情報だけを抽出してその内容を記憶していきます。

昨日あった事を思い出してみてください。きっと詳細には思い出せず、要点のみを覚えているはずです。だいたいあんなことがあったな、あの人にあったな、宿題忘れたな、など詳細には覚えてないけど大体どんなことがあったか思い出せます。

このように、人間の思考、というより脳は過去にあった物事を全て覚えるのではなく、必要な情報のみを抽出するのに長けているのです。

なぜかというと、過去の記憶や経験から学び、それを将来に生かすためには物事の詳細な情報は不要でその抽象的な要点だけを覚えておかないといけないからです。

今まで生きてきて、全く一緒の状況に陥ったことはありませんよね。つまり詳細な記憶は必要なく、ここで必要なのは起きた事象の要点を曖昧に覚えているだけでいいのです。

このことから、我々は「知ったつもり」になってしまうんです

まとめ

長々と書いてきましたが今回は以下の3つを押さえていただけると十分です。

  • 我々の脳は「知っているつもり」になるように進化した
  • 人類は全体を知らなくても推論によってある程度物事を把握できる
  • 人類の思考は必要な情報のみを抽出するのに長けている

この投稿で「知っているつもりー無知の科学ー」が気になった方は是非読んでください!

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